赤祖父マップ

ただの日記です。

日記20190803/そんなに美味くないものの情報が欲しい/腹を下して外食する勇気

ぼくはよく「富士そば」を利用する。それを知っている、特に地方の人は東京に来ると「富士そばを食べてみた!感想は……(無)」みたいなのを見かけ申し訳なくなる。別にぼくだってめちゃめちゃ美味いと思って食べているわけではない。そこはわかってほしい。

 

そもそも「食事はできるだけ美味くあれ」「美味さを追求しなければならない」という強迫観念はどこからきたのか。別に美味くなくていいこともあるし、何なら美味しいものより大してそんなに美味くもない普通なものが食べたいことだってあるのではないか。ウマ疲れするんだよ。

 

ぼくが定期的に食べているのが、西友のカツ丼だ。

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これで380円くらい。悪いけどこんな食生活を続けるほど金が無いということはない。値段で買っているわけではない。これが食べたくて買っている。これだから買っている。おいおい、金曜の夜のディナーだぜこれが。

 

 

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この卵のカドの立ちっぷり! 多分、大きい平らな鍋?フライパン?に幾つもカツを乗せて卵をビャーッと流し込んで、んで固まったら容器に合うようシカクにカッティングしていくような作り方なのではないだろうか。そうでなかったらこんな異様な卵とじになるだろうか。

肉も別に普通以下の品質だし、卵も絶妙な半熟感とか皆無、そしてご飯もどう考えても古米。すべてにおいて低品質なのである。それでも食べたい。もう一度強調するが安いからではない。「これが」食べたいのだ。逆張りではないぞ。

『孤独のグルメ』の「これでいいんだ」よりももう一段落ちる感覚。むしろマズいに近いほうの「そんなに美味くない」だ。これを求めている。

 

うまく言語化しきれないのだが、「美味くもないが食べたくなる」品物をレビューした食べログ的なサービスが今後こないだろうか。シナッシナの出来合いのパックのタコヤキとか、カップスター(notカップヌードル)とか、こないな普通に。でも、世の中の「美味しくない=悪」の風潮が強すぎて自分の中でこれに対する違和感が大きい。本当に世の中美味しいものばっかりになったよねえ……。

 

 

ところで今日の夕飯は外食にするか家で食べるかで迷って上記の美味くもないカツ丼を買ったのだが、外食を諦めた理由は、腹痛だ。いい歳してアイスの食べ過ぎで腹を下している。常に腹が痛い。

当たり前だが食事をするとそのまま便意に繋がることがある。食事中にどうしてもウンコをガマンできなくなって行くときとても負けた感じがするが、そういう風に外食時、しかもトイレ使うのが面倒な店だと大変だ。そういうリスクを回避するため、今日は外食を諦めたのだった。

 

 

 

先日買ったデカスマホのお陰で読書(マンガもね)が捗りそうなので、ネタに乏しい日には本を褒めていこうと思います。褒めるほうでなく、kindle unlimitedで読んだ「圧倒的クンニ」みたいなクソ本のレビュー? はTwitter向きな気もするので悩みますね…。