家への帰り道の途中、何かしたらしきジジイが、道で追いかけてきた警察に呼び止められていた。そして警官たちに「何か身分証を」と言われていた。
ジジイは
「ミ、身分…?」とごまかしていた。
アンドロイドが人間の感情に目覚めて「ト、トモダチ…?」とか言うみたいに、だ。
何なんだよ。
(通りがかっただけだし痛快なオチが待っている的な嘘松じゃないのでその後の経緯は知りません)
今日は自社オフィスでない場所で仕事。フリーランスの人のような自由な時間。仕事はリモートで会社の環境につながるが、デュアルブートで自分のPCとしても使えるようにしているので、隙間時間では自分の作業を進める。
サラリーマンでもうまく選んだり立ち回ったりすれば欲しい範囲の自由が手に入ったりするので、一概に自由な働き方=フリーランス、というのも違う時代になったのだと思っている。むしろ良い意味で「替えが効く」サラリーマンなんかは状況によってはフリーの替えが効かない人より休みやすかったりするかも……とかあるしさ。自由を求めてフリーになるのもいいけど、会社やポジションを選べばサラリーマンのほうが自由だったりして、みたいにイケハヤ尊師を見て思ったりします。
少し前の記事だけど今更。確かに自分もブスということばはいつしか使わなくなった。昔はネタツイートとかで使っていた覚えもあるが、使わなくなったのは時代のせいかもしれないし、周りやネットで見る人の影響かもしれないし、自分が精神的に成長したからかもしれない。
自分は男性平均から見るとチビなのだが、人生であまりそのことをイジられた記憶はない。別にイジって面白くもない特徴にすぎなかったのかもしれないし、素晴らしい人たちに囲まれて過ごしたからかもしれない。でもチビチビ言われずに大人になれたのはラッキーだったなと思う。劣等コンプレックスは周りに作られるフシもあると思う。なので自分は劣等コンプレックスがあるかないかで言えば別に気にしていないというのが正直なところだ。自分より背の高い女性が自分を見て秒速で「興味の外」として扱うのは流石に生きてるうちにわかるようになったが、しかし今の妻はぼくより背が高い。人生なんなんだかわからない。まあとにかくブスということばがそのコトダマとしての力を急速に失っていったのは良い時代の変化なのだろう。
【読書感想】墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便
もうすぐ日本航空123便墜落事故の発生日だが、Twitterで見かけた感想が気になってこの本を読んだ。当時現場で遺体の確認等を担当した警察の人が書いたものだ。
グロい、という言い方でいいのかわからないが、普段のニュースではボカして表現されるような悲惨な遺体の状況なども描写される。特に子どもの遺体の話などはさすがに文章だけであってもなかなかつらいものがある。ただ、こういう悲惨な現実があったというのは知っておいて良かったと思った。なんとなく『はだしのゲン』とか『進撃の巨人』とか、あるいはネットで踏まされたrotten画像で慣れっこみたいな自負が無くもなかったが、しかしこう具体的な事実を語られると改めてショッキングな内容ではある。
説教くさい内容とか筆者が学びを語りたがるテイの本ではないので、単純にドキュメンタリーとして読んでいいと思います。主観や誇張があるやなしやだけど。
本文中でも触れられていたが、日本人ならではなのか当時だからなのか、肉片ひとつ、腕ひとつでも肉親のものを持ち帰りたいという感覚が現代においてはどうなのだろう、というのがちょっとわからない。自分の家族に起きたら……なんて想像もしたくないが、やっぱりそういう気持ちになるのだろうか。まとめて埋葬というテイではだめなのかな、なんて思ったり。そのへんは「昭和50年代の日本」的な感覚なのかも。