赤祖父マップ

ただの日記です。

日記20220627/脱・赤ソファしたい/庶民ルーティーン/ありがとう

インターネットで「赤ソファ」を名乗って15年以上になる。一般名詞をハンドルネームにしている人は多いが、幸いというかなぜか被っている人を見たことはない。いたらすみません。食べ物とか生き物のハンドルネームとかめちゃめちゃ被るけど家具ってあまり居ないじゃないですか…。

 

これはむか〜しのmixiの記事から持ってきた15年前くらい当時の写真だが、マジで赤いソファなのである。これをバカにされてからそのまんま赤ソファ〜の人ということになって今に至る。赤が良かったのは「ソファと言えば赤」となぜか思い込んでいたのと、喫茶店のソファのモケットみたいな生地に憧れていたからだ。このソファは座るところだけモケット風、背中は合皮というよくわからないものだったが、当時ロフトで4万円くらいと手頃だった。

このソファは飽きて買い替えてしまったけど今も赤っぽいソファを使っている。ノイエスというそこそこのソファ専門メーカーの品で、買ったときは20万以上はしたと思う。

これももう10年以上使っているのと、2.5人がけで少し手狭であること、また単純に飽きたということもあり買い替えたい気持ちが高まっている。名前は名前だが、別に赤にこだわってはおらず、というか名前のとおり赤いソファを使ってることがかえってどうなんだと思い始めてきたのでもう赤いソファはやめたいと思っている。

ノイエス自体に不満はないので、こことあとライバル的な会社でフランネルというところがそれぞれ青山のご近所にショールームがあり、それらを見てみることにした。

 

 

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息子がハウスダストのアレルギー反応が強めに出ているので生地は布モノだとちょっと心配で、今のソファと同じく東レのウルトラスエード生地限定で考える必要がある。

 


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まだ下見程度のつもりだったのだがガッツリ接客され見積もりまで出された。ただ大物家具の買い替えは私の一存では難しいのでどうなるかね〜。

というか、こうなると買い替えで金がかかることよりも、壊れてもいないソファを捨てるということのほうがなんか心苦しくなるのが自分のタチで、メルカリでソファなんか売れるのだろうか、というかうちのソファ出したら一発でアカウント特定じゃんとか思ったりしている。ネットリテラシの高い人のように自室の背景を全然出さないスタイルで行けばよかった……。

 

 

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最近は月に1回くらいのペース(そう取り決めたわけではないが結果的にという感じ)で、家族全員で休日の夕飯を外食→スーパー銭湯というイベントが発生することがある。だいたい週に1度は銭湯に行っているがその場合は息子と二人が多く、全員でというのはまた少し特別なこととなる。

外食も別にどこでもいいのだけど、子どもたちの要望から毎回幸楽苑になっている。個人的にガストとかデニーズよりは嬉しいので毎回でもいいかと従っている。

 

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今回はこれに加えて選挙の不在者投票をしてくるといういかにも小市民的な休日の流れになり変な満足感があった。後から洗車も入れれば100点だったなとなんとなく思った。

スーパー銭湯を出た後は子どもたちはセブンティーンアイスを必ず食べる。そういうことになっている。そして何度かこういうのを経た結果、子どもたちにはもうパジャマを持ってきて着替えの時点でパジャマになってもらい、歯磨きもしてしまうようにしている。帰りの車中で寝るからだ。息子は駐車場に着いたら起こすが、娘は起きないので抱っこして車から寝室まで運び、そのままノー寝かしつけでフィニッシュである。

この「月に1度の幸楽苑→スーパー銭湯ドライブ」、多分子どもたちにとってなんとなく覚えている思い出のようになってくれる気がするんだよな。自分が子どもの頃も休日のルーティーンみたいのがある日があって、例えば祖母の家に行き夕飯をご馳走になる日。これはサザエさんが終わり例のエンディングのマンガ調サザエさんが終わり、後番組でスゴロクのクイズみたいのが始まったくらいで祖母の家を出る、みたいのが定番だった。サザエさんがあるからこれは日曜日の午後の流れだったのだろう。

あとは父が行きつけの焼肉屋に行くこともあった。あれも月に1回くらいだった気がする。チェーン店の焼肉屋ではないやつで、いわゆる昔ながら(思い出の話なので30年以上昔の話なんだけど昔から昔ながらでしたね)のタイプ。ここでご飯とカルビをハイシーオレンジで流し込む自分。父はホルモンとかも食べてて、試しに貰ったこともあるけどあれはこの頃から飲み込むタイミングわからねえなあ〜と思っている。そういうのを結構覚えている。覚えている、といっても何月何日のワンタイムの思い出、ということではない。これらは複数の繰り返した似たような体験であり、思い出もある種の概念に近い覚え方をしている。つまり、子どもの頃の記憶というのはこういうふうに似たような繰り返しが思い出として強化され、残るのかもしれない、と根拠のない仮説を持っている。

とすると、やはりこの休日の幸楽苑→スパ銭の流れはきっと彼らが大人になっても「こんなのしていたね」と残るんじゃないかと思うのである。それが焼肉じゃなくて幸楽苑というのがショボいっちゃショボくて庶民だなあと思うのだけど、しかし自分も毎回このルーティーンの時間はなんかとても良いなと思っていて、子どもたちがもうイカネというくらいまではなんとなく続けたいもののひとつである。

 

 

 

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ありがとう!の話です。

 

(返信不要とのことなので全文引用はやめます)

 

はげましと応援ありがとうございました。愛してる。

クソリプに対する脳内フィルター機能をすでに実装していますが、体感で1000RT超えるとクソは来ますが万を超えると頭のおかしいやつがやってきます。Twitterの今の構造上、商用利用以外でバズって幸せになれる人って一人もいない気がするよ。

やっぱりあれなんだよな、自分のことはまだ全然気にならないんだけど、家族とか友人とか良い関係の相互フォロワーとかを的外れにディスられると結構耐えられないクチなんですよ。アンガーマネジメントの6秒の壁があるなら6秒以内に叩き込めばいいじゃんみたいな風になるわけです。

 

そもそも人気商売でもなく、かつネット商売でもないのでそういう弱みがあって殴り返さないネット芸能人とも違うただの一般人です。ですからこういうときは有象無象の中から代表者を決めて胸ぐらを掴んで殴り返すこともあるのです(たまに「あまり気にしないほうが」「相手にしないほうが」みたいな意見ももらいますが、本当に9.8割の大半は気にしないでスルーしている事実があるのはお暇なとき@akasofaでツイート検索してみるとわかると思います)が、そうすると急に殴り返された側って「なんで自分なんて弱小を急にムキになって」みたいな被害者ヅラするんですよね、面白いことに。撃つのは撃たれる覚悟のある者だけ、っていうのは実感としてもFPSゲームとかやってればよくわかるものですが、ああ覚悟はないのだなと。ちなみに画像引用ツイートで他人に言及することは私もよくありますが、あれは検索避けというよりはリプライでの直撃でのご迷惑をかけることを避けているだけで、たまに本人に見つかって何か来ることもあるのでその場合は普通に応対しています。

しかしこの日記、3周も読んで頂くほど推敲したり過去と比較したりしながら書いているわけではなく喋ってるのに近い感覚で書いてるので、何回も同じことを書いていたり逆にまったく矛盾すること書いてたりしてそうですね。なんかそういうのをじっくり伺いたく思ったりしてしまいました。感謝です。

 

 

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