久しぶりにすごくリアリティのある夢を見たのでメモ。
あるネット界隈の知人(女性)のイベントが開催されて見に行っている。一緒にネット繋がりの何人かも見に来ている。
そんな中、発表者の知人が少し席を外したスキに、観客のひとりの女性がスクリーンを奪って自分のスライドを写す。そこには発表者の知人の悪事を告発するような内容。こんな酷いことをされました、とても酷いやつなのです、と。
その告発者の仲間と思しき数名がそうだそうだと盛り上がり、そして告発者と仲間はイベントから途中退場して去っていく。会場はちょっとザワザワしている。本人の様子はよくわからない。
ぼくは仲間と「とは言ってもね〜 片方の意見だけではね〜」的な話をして再開を待つ。
オチも意味もないです。本当にメモなだけです。珍しく夢を覚えているくらいハッキリと見たのがうれしくって。
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キーボードにはこだわりがある。昔から。
今はメカニカルがどうだとか軸がどうだとかいうのもポピュラーになったが、そういう話が盛り上がる以前の時代にIBMのUS製とかミネベア製とかドイツcherry製とかそういうので色々とこれは良い悪いみたいなので探したりしていた。アキバにあったキーボード専門店も公園の片隅の小さいところにヒッソリとあってアジトみたいな店だった。
東プレも触れるのはこの店くらいだった。で、バッカンバッカン音がするキーボードで夜な夜な匿名掲示板でレスバトルをしたりしていたわけだ。くだらないですね。笑い。
キーボードの予備を買っていたら当時の彼女(後の妻です)が意味がわからんという目で見たりしたのもいい思い出です。
今メインで愛用しているのはMacで、キーボードは純正を使っている。これはこだわりがなくなったわけではなく、今の自分にはこれが一番打ちやすいのだ。浅くてそれでいて底づき感がある。デカくて深いキーボードには疲れてしまったのだ。でもあの時代からずっと英語レイアウトキーボードを使っているので、基本的にノートPCもデスクトップも英語キーボードモデルにしている。
ところが、だ。
仕事で使うPCは日本語レイアウトだ。最初は自分で英語キーボードを持ち込んだりしていたが、いわゆるリモート接続するシンクライアント環境になった関係と、あとそもそも我々の仕事はマイ環境じゃないところでキーを打つ仕事が多い。カスタムされていない、まったくすっぴんの状況下とか、セキュリティルームなどの特別な環境下での作業など。そもそもより好みをすること自体ができない。
そうなると日本語キーボードで仕事をするのが当たり前になり、このリモートワーク用に自腹を切ったThinkPadも遂に日本語キーボードで買ってしまった。これじゃないと困るので。
そういうふうに、こだわりを持つ一方でこだわりを捨てることにこだわるというシーンも非常に増えたように思う。仕事用の靴も結構こだわっていたのだが、もうそのこだわりも捨てた。スーツのこだわりも捨てた。腕時計も高いやつを売った。40前後でそのへんは本当にスッキリしたと思う。無駄な虚栄心は捨てて、それでも本質的に良いなと思うものにはこだわる。こだわりを捨てるシーンは躊躇なく捨てるというこだわりを持つ。そんな感じです最近は。
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残業して帰ってくるともう店で食事をすることができない時間になる。
仕方なくテイクアウトを頼んで、その牛めし卵ミニサラダセットを持ってプラプラと帰っていると、ガールズバーの呼び込みがウェイ系と話している。「飲めンのぉ?」「飲めますよウチは〜」などと会話している。20時以降でも、というか店で普通にアルコールを出しているとのこと。これ都にチクったら何かないんですかね。
こっちは腹減らしてるだけだというのに向こうは要請も守らんでバカ面下げて飲めますよ〜ですよ。ほんと正直者がバカを見ているだけですよ。これを理不尽と言わずなんというのか。というかまずキャッチを取り締まれ。
家で牛丼を食べていたら息子と娘がやってきて結構つまみ食いをして去っていった。きみたちも松屋の味を覚えたか〜。